
がらがらがっしゃーん!
食器棚からシンクに食器が落ちて派手な音で割れたとき、寝ていたむすめが起きて来て大丈夫?と聞きました。
流しで割れている青くて綺麗な箸置きをみて、「あ、Yちゃんにもらった箸置き」と言いました。
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1.気持ちを言葉にする
2.気持ちと事実を切り分ける
3 事実にだけ対処する
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1.気持ちを言葉にする

Yちゃんは娘の大切な友達で
その箸置きは娘が大事にしていたのを知っていましたから、わたしは嫌な気持ちになりました。
嫌な気持ち。
この嫌な気持ちはなんだろう。
暫く考えてから多分、「悲しい」という気持ちだと思いました。
悲しいというのは
大事な箸置きを割ってしまったから、というより
ほんとは5時間寝たいところを4時間半で、超特急で娘のお弁当を作る。
1秒でも早く仕上げて朝本を読む時間を確保したいのに、それで頑張ってるのに
「Yちゃんからもらった箸置き」と言われたから。
くそー
どんな思いでやってると思ってんのよ。
一品多く作るためにどれだけ集中してると思ってんのよ。
2.気持ちと事実を切り分ける

何か起きたとき、わっとおそってくる感情があります。
私がこのとき感じたのは「嫌な気持ち」
言葉にしてみることが大事です。自分は今嫌な気持ちなんだ。
漠然とした感覚が文字として、頭で明確になる。
その後その嫌な気持ちを更にのぞいてみると
「悲しい気持ち」なんだと判明。
その後その「悲しい気持ち」は
自分の時間ややりたいことを犠牲にして娘のためにやっていることをわかってもらえていないからくる「悲しい気持ち」だとさらに判明。
わかってもらいたいんだな。
それだけで状況と感情が客観的にとらえられる。
事実と気持ちのふたつに切り分けられる
3.事実にだけ対処する

その後、でも箸置きはもとには戻らない、物はいつかは壊れるし無くなる。
Yちゃんは元気だし、またいつでも買えるから、この悲しみは、それ程重要な事ではないと考えました。
言葉にする。
つまり自分の気持ちを客観視して明確にできる。
事実と感情を分けて考えられる。
そして事実に対してどう考えるかを自ら選択できる。
しかしでもまあ、それはそんな簡単じゃない。
お皿の割れる音は娘が小さかった頃、壁にお皿を何十枚も投げつけて割った記憶を蘇らせました。
あのときの怒り悔しさ悲しさは、とても言葉になんかできなかった。
多分訓練、習慣なんだと思います。
それ程じゃない程度の小さな心の変化の時、
「気持ちを言葉にしてみる」
ことをやってみることが、積み重ねることができたら、それを訓練、習慣にすることができたら、
大きな感情の変化の時にも短時間で冷静になることができるのではと思います。
そして、
夜娘が帰って来て私に言いました
「けさYちゃんの箸置き、って言ってごめんね。怪我なかった?って聞けばよかった」
驚いた。
子どもは勝手に育っています。
日々変化している。
そして子どもは親を見ている。
親をみて考え、育っていくのです。