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虐待とレジリエンスと計画された偶発性理論

虐待を受けて生きるだけで苦しい、

でもなんとか生きていく。ということなんだと、たくさんの方のお話を聞いていて思います。

そのものすごい力に、胸が熱くなることもしばしばです。

レジリエンスという言葉は「回復力」「抵抗力」「復元力」とか「外力による歪みを跳ね返す力」ともいわれます。

力はある。

ではどうやってその力を出すのか。

について思ったことを書いてみました。

 

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1 虐待を受けるということ

2 レジリエンス

3 計画された偶発性理論

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1  虐待を受けるということ

子どもが多分命をかけて獲得したかった親からの愛情。愛情という名の安心。

親の言う通りにすることが、親の機嫌を損ねないことが生きのびる道だった。

 

うまくなったはずです。親の機嫌を損ねない方法。

親が一貫していたら。

 

でも親は自分の気分で行動したから、あなたは混乱したでしょう。

前はこれでよかったはずなのに今日はだめだった。

 

そしていつ終わるとも知れない恐怖と緊張の中で、日々を生きてきた。

 

誰かから支配されるということと同時に、人を支配するということを学んできた。

 

いつかされる方からする方に回る。

自分はあんなにやられてきた。これくらいはなんでもないだろう。あんなにの度合いが、これくらいの度合いに比例する。

 

それをいやだったからやめる人と、

いやだったのに同じことをしてしまうんです、と身をよじるようにして泣くお母さん。

 

その違いはどこにあるんだろう。

とずっと考えてきました。

 

2 レジリエンス

レジリエンスのカウアイ研究というものがあります。

1955年にハワイカウアイ島で生まれた698人の子どもの、40年間の社会適応を調査した研究です。

 

210人はハイリスクな(家庭の貧困、両親の不和、虐待、親の精神障害など)環境であり、

学習上の問題や非行や精神障害を発症した人もいたが、3分の1の子どもは普通の子どもと同じように発達したといいます。

 

実際、3分の2の子どもは、10才、18才の時点で何らかの問題を起こしていた。その中で良い適応を果たしている子どもたちが持っていたのは、

一つは個人要因。活発、友好的、応答的な子が多かったという。

 

もう一つは家庭や地域からのかかわり。彼らには、家庭内に少なくとも一人は情緒的に安定していて信頼できる人がいたという。

 

レジリエンスは、現在は個人の性格というより、環境との相互作用によるとしてみる考え方が主流となっています。

 

若者時代に不適応に陥った人々であっても、少なからぬ人が30代に入ってリカバリーした。

例えば、10代で母親になった子が、30代を超えて再び学校に通ったり、職を得たりしていた。

そして、その転機は、心理療法や専門家による介入といった特別なことではなかったといいます。

 

自分には助けてくれる人がいるという安心感。ありのままの自分で存在していていいという許し。

自分にはこういう強みがあるという意識。

 

親以外でも、一人の大人、なにかあれば親身になって助けてくれる他者の存在がその違いだというのです。

 

その「人との出会い」がキーになるなら、どうやってその人と出会えばいいのだろう

 

 

3 計画された偶発性理論

これはキャリア理論で「個人のキャリアの8割は予想していない偶然によって決定される」

「その偶然を計画的に呼び寄せることでキャリアアップをする」というものです。

 

職業選択だけでなく、友人や周りで出会う人もほとんど偶然です。

その偶然は自分で計画できるよという理論なのです。

 

どうするか。必要なのは5つ

 

「好奇心」いつも新しいことに興味をもって接していこうとする

「持続性」失敗に負けず、努力し続ける

「楽観性」新しいことをしたら実現する、可能になると考える

「柔軟性」こだわりを捨てていろいろな視点で物事を捉えたり行動したりする

「冒険心」結果がわからなくてもとりあえずやってみる

 

こうした行動を意識していれば、待っているだけよりより良い偶然を呼び寄せることができる。

 

簡単に言いますが簡単じゃない。

 

こんなこと全部無くてもくてもいいのですが、この中で要素があるとしたら

あなたにあるものはなんでしょうか。

好奇心、持続性、楽観性、柔軟性、冒険心

 

意図して偶然を呼び寄せる、ってできると思いますか?

 

あなたを親身になって助けてくれる他者との出会い

 

もしかしたらもう居るかもしれないし

居ないと思うなら、偶然を呼び寄せる可能性についてあなたはどう思いますか?